先日、ショールームに行った帰りに、あまり馴染みの無いその町を散歩することにしました。
写真はその時出会った場所のひとつ。
何を祀ってあるのか分からない小さいお堂、大きな木が数本、ありふれた遊具と無造作に配置されたベンチ。
たかがそれだけの、取り立てて論じようも無い風景ですが、このような場所がある町は、とても豊かだと感じます。
放課後に誰が言うでも無く集まる場所、親と喧嘩して家を飛び出した時の一時避難所、汗まみれの職人さんたちの憩いの場所、息が詰まる職場から解放される束の間の昼休憩、お互いの家はもうすぐそこなのに別れがたい夕暮れの淡い時間、夏の花火、秋のお祭り、犬の散歩、人間観察・・・。
誰が、いつ、何をしていてもいい場所。
そこにただ”居ていい”場所。
誰のものでも無く、そして誰のものでもある場所。
実質的には、公園なのか境内なのかで行政管轄か私有地かというところでしょうが、そんな現実の意味は限りなく薄くなり、ずっと前からあってこの先もずっとその場所であるような、言うなれば、人ひとりの原風景となるような場所、なのではないかと思うのです。
私が知る東京の町の多くでは、昨今このような場所が劇的に姿を消しつつあります。
お金を払って室内にいるか、あまりに頑丈な柵に管理され使用時間が決められた公園か、多くはそんな空地さえも無く、厳密な私有地で埋め尽くされています。待ち時間をつぶす事も、ふらっと散歩することもままならないし、子供の無限な好奇心は一体どこで発散させればいいというのか。。
だからこそ、こんな場所がある町は、おおらかな懐の深さを感じずにはいられません。
公園だけでなく、他にもこのような場所になりえないだろうか。希望も込めて、探求してみたいと思います。
「誰のものでもない場所」シリーズ、始めます。