今回の旅の最大の目的はモロッコ建築群をみることでした。
モロッコの話の前にまず少し。
それぞれの国の街が近代化する道は大きく分けて2パターンあるそうです。
一つ目は、街全体が、部分から始まり徐々に近代的な建物に更新されていくパターン。
二つ目は、何らかの要因で、古い街をそのまま残したその隣に、近代的な街が新しく作られるパターン。
日本などの多くの国は、もちろん前者を選び、新しい建物と古い建物が混在しながら、街が徐々に無秩序に、近代化されていく過程を辿りました。
モロッコの場合は、後者で、7世紀~8世紀にアラブ人によって支配されたころに作られた旧市街と19世紀前半にフランスによる植民地となった際に新たにつくられた新市街が隣り合って存在しています。結果として旧市街については、建設された当時の姿がほぼ変わること無く残されていて、現役で使われて続けている希有な街なのです。
お目当てはもちろん旧市街(メディナと呼ばれています)。
メディナは、敵からの侵入を防ぐために堅固な城壁に囲まれた中に、同様に敵を迷わせるため3000もの路地があり、その合間を建物が埋め尽くす、世界一の迷宮都市と言われています。
大雑把に言ってしまうと、建物の造りとしては、土を固めて作った四角いボリューム、それが切れ目無く繋がり、支え合うように街全体を形作っています。個体と全体が限りなく曖昧で、むしろ街は元々ひとつの大きなボリュームであり、そこから路地と生活空間をくりぬいて作った蟻の巣のようなイメージと言った方が分かり易いでしょうか。
比較的、方向感覚に自信のある私でも、本気で、今までに経験したことの無いレベルで、迷いましたw
ひとたび路地に入り込むと何処も既視感があり、建物同士が接近しすぎているので目印となりそうな高いミナレットも全く見えない。
子どもの頃からメディナに住む現地の人は、何で迷うんだ?ぐらいの感じですたすた歩いており、尊敬の念を禁じ得ませんでした。
モロッコの各都市は、おおまかにこの旧市街(メディナ)とそのまわりの新市街という作りになっていて、その中でも最大規模のメディナが有るのが、今回訪れたマラケシュとフェズです。両者の違いは、日本で例えるなら、東京と京都であるらしく、フェズの方がより伝統的な様相を色濃く残しています。街を歩いた感覚として、フェズの方が、メディナ全体にかなりの起伏があり、車やバイクなどの文明が入り込みにくいという地形的必然性も手伝っているように思いました。
マラケシュとフェズ、そしてサハラ砂漠方面に行くために越える4000m級のアトラス山脈付近にある小さな町々。
そのどれもが全く違い、地域性が濃いことが印象的でした。
一番分かり易いのが、建物の色です。マラケシュの赤、フェズの白、山脈付近の街の赤。それぞれの色は、その土地の土の色の違いをそのまま表していて、必然的にその街全体のイメージとなります。
それはメディナと同様、近代化の波を偶然にもかいくぐり、それ以前の姿をより強く現実のこととして、現代の私たちに感じさせてくれます。
近代はあらゆることの合理化、効率化を目指した結果なわけですが、生まれた時には既に近代化された世界だった私にとっては、都市や建築に関していうと、地域性を残したメディナのような街の方が、よほど合理的に出来ているのではないかと感じました。
地域性とは、その土地の気候や風土、宗教、習慣などから必然的に生まれた形です。
近くにある土を使って家を作る。そうすれば当然、その土地の色になる。雪が多いから、積もった雪が落ち易いように屋根に大きく勾配をつける。雨が少ないから、屋根は水平で質素な雨樋が壁から無造作に1本出ているだけで事足りる。
こんな様子をみていると、近代化とは、技術の進化を理由にした資本主義社会の体の良い共通化に過ぎないのではないか、と。
気候も風土も全く違うにもかかわらず、全ての国や街を同じような建物で埋め尽くす近代化は、どうみてもそれが目指していた合理的な姿には思えません。テクノロジーによる無駄や無理を察知する感覚が失われ、それを無条件に信じる思考停止状態が行く末です。
グローバリズムという名で、世界の垣根をなくす、国境をなくし共通化する。
そもそも共通事項とは何に基づくのか、その基準は一体誰が作ったものなのか、そんなことが気になり始めると、その言葉の表層的で軽薄な使われ方に疑問が連鎖して止まらなくなります。
モロッコの街々を車で廻りながら、そんなことを考えていました。
近代化を全面的に否定する立場ではもちろんありませんが、世界で近代化が共通認識となった今だからこそ、さてそれだけでよいのか、と立ち止まる必要があるように思います。
うまく言えないし浅はかな考えかもしれませんが、近代と前近代のそのちょうど間、地域毎の近代モデルのようなものが作れないのでしょうか。
進化した技術を無自覚に乱用するのではなく、その地域性に合わせて技術を取捨選択し自在に操っていく、そのような意味で前時代の合理性と現代のそれとをうまく融合出来れば、獲得してきた快適性はそのままに、今まで使ってきた無駄なエネルギーが減るのではないかと思うのです。
何より、世界中を旅した時、世界がどこも同じだったら面白くも何ともないよなぁ。
違いが有って、その理由がある。その理由から、その国と国民のことをもっと知りたいと思う。
それが何よりの旅の醍醐味である、と思い出させてくれたモロッコの旅は、紛れも無く「面白い」旅でありました。
モロッコの街並は形容し難いので、あとは写真で(笑)