今回はぼやっと頭にあることを自分用のメモとして書きます。
なので、何の結論も方法論も固まった意見もありませんwあしからず。
銀座のソニービル(1966年、芦原義信設計)が、約2年後に解体されます。
その後の計画が少し面白くて、個人的に注目しています。
その計画というのは、解体された後、2年間限定ですが、そのまま空き地として解放する、というものなのです。
銀座の一体というのは、言わずと知れた、今や日本どころか世界でも最も地代の高いエリアのひとつです。
その敷地に、空き地??!このご時世に?!日本を代表する大企業が?!!
2年間限定とは言え、何かを作れば必ず利益を生むことは約束されているような、そしてそれが義務であるような場所で、言わば一銭の利益も生まない「空き地」。。ここでは「park」としていますが、同じことです。
不動産や税金のことなどの専門家ではないので、想像の範囲を越えませんが、このような場所にある土地を所有しているだけで、それによって利益が出ないのであれば、固定資産税や維持管理費を考えるだけでも、マイナス。。。つまりお金をかけて、空き地を作る、ということなのです。
もちろんその空き地の活用の仕方などによってある程度の試算が出来てのことだと思いますが、その考え方に、新しい時代の流れのようなものを感じました。
端的に言うと、何が価値になるのか、ということです。
先日、このビルで開催中の、このプロジェクトについての展示会に足を運びました。
そこで知ったのは、そもそも現在のビルも角地の隅を切るように三角地帯の空地を有していて、それを意識的に利用してきたということです。仮設的な催しをしたり、立体的な広告をうったり、季節イベントに利用したり。
確かに銀座のような一等地では、なかなか考えられないことで、逆にそれを価値として扱っています。何十年も前の広告が、今見てもとても面白いものだったりするのも興味深い。
で、最近よく思うのが、空地とか広い空とか遠くまで抜ける視線とかに遭遇すると、すごく贅沢だなぁと感じる。矛盾しているようですが、「何も無い」ということが一番の贅沢だ、つまり「有る」ことで埋め尽くされている世界では、「何も無い」ことが、価値になっているのです。
もう4~5年前ですが、建築を作る立場の設計者にとって、何かもっと他の、もっとポジティブな可能性はないのだろうか、と考えていたことが有ります。その時ふと思ったのが、土地の所有者への提案として、通常であれば、有効活用の手段として、賃貸マンションやオフィスビルの建設、分譲地として販売、せいぜい駐車場としての利用、くらいしかないけれど、例えば、公園を作れば、その周辺の人はすごく喜ぶし、その地域の価値もあがるよなぁ、と。ただ、建築することが仕事という立場上、また周囲の価値があがっても実際のその土地での利益が無ければ現実的でないと思い、その時は、考えをそこでやめてしまいました。
それが実際現実のプロジェクトとなっているという驚きと共に、その経過を何故だか半ば当事者のように見守って行かねば、という軽い使命感すら感じています(笑)
その時他にも考えていたことが有ります。
建築は、竣工するまでは、地鎮祭から始まり、上棟式、竣工式など、たくさんの催しがあるのに、いざその使命を終え解体されるときは、人知れずいつの間にか無くなってしまう、というのも何だか寂しい。人間だって、卒業式や閉会式、死んだらお葬式、など、終わるということに対してきちんとした場を設けるのに、建物にそれが無いというのも不公平だ。建物にも、閉会式じゃないけれど、せめてお別れ会的なものがあってもいいよなぁと。
実は、実際にそういうことをやった例もあり、それをきっかけに、新しい展開に繋がっている建物もあるのですが、それを知ったのも最近のこと。
全然整理出来ていないけれど、頭の中でもやっと浮かんだアイディアの原石をもう少し暖めていく癖をつけた方が面白そうです。
長くなったので、脈絡も有りませんが、今回はここまで(笑)