先日、ある演劇を見に行きました。
演劇といっても明確なストーリー性があるものではなく、
3人の演者が、それぞれの得意とする芸を、とあるテーマに沿って表現しながら進んでいくという内容でした。
演劇の内容も良かったのですが、その中でも印象的だったのが、舞台セットの作り方でした。
比較的抽象的な内容の舞台だったので、あわせるように、セットも実に簡素。
いわゆる、ステージが一番奥にあってひな壇上の観客席というタイプではなく、空間の真ん中にステージがあり、それを観客が取り囲むように観劇するというものです。
ステージは、端が立ち上がっている一枚の床のみで構成されており、その床の一部が自由に取り外せるようになっています。
小道具は、ほとんど1本のロープのみ。
その時々の場面によって、床が脱着されて、穴になったり、ステージになったり、ベンチになったりする。
ひとつの穴ができて、その穴に降りたときの出来る段差のみで、演者のプライオリティをつけ、観客の視線を誘導する。
演じながら、1本のロープを舞台上に張り巡らせ、それがいつの間にか場面を海へと転換させているなど。
ミニマムな操作と観客の想像力のみで、どんな大袈裟な舞台セットより巧みにその都度の情景を作り出しているのです。
それは、ミニマムだからこそ、その表現しようとしている物の構成を理解し根本的な要素を抽出し、
万人が共有できるぎりぎりの形に再変換して具現化する、という作業なのではないかと感じました。
それは、建築を考える際にも十分共有出来る思考なのではないかと思います。
表層の雑多なものの奥にある、その根本の核のようなものを探し当て咀嚼し、その敷地、環境、人、生き方にあわせて再変換し、具現化する。
舞台は、一過性の仮設的な装置。
一方で建築は、それが持つ時間性が大きな特徴である不動の物であるということ。
舞台は、設置と撤去を、極端に限られた時間の中で繰り返すという特徴によって、
建築は、人間を支え基盤となるために、長い時間を耐えるタフさとおおらかさ、普遍性が求められるという観点から。
それぞれの事由によるそれぞれのアプローチから、同じ原則にたどり着く。
対極にあるふたつの間に、不思議な共通点を見つけた瞬間でした。
演劇には全く明るくありませんでしたが、そのことに気がつけた今、その似て非なる世界をもっと知りたいし、きっと一気に楽しいのだろうなぁ。