今年から近所の市民農園を借り、野菜を作っています。
今は、夏野菜の収穫ピーク。3日あければ、食べきれない程の野菜達がぐんぐん育っていて、それを惜しげも無く次々と収穫するのが何とも気持ちいい。
そして採れたての野菜といったら、もう無敵に美しいのです。
大袈裟ではなく、ほれぼれしてずっと見ていられます。
その鮮やかな色、同じものはひとつとしてない優雅な曲線を持つ形、そして何よりその見事な艶。
今までスーパーで買っていた野菜との違いは、何よりこの艶。野菜に艶がある、というイメージが無く、逆に艶があるものは、おいしく見せるために何か人工的なもので加工していると思っていました。(実際そういうものもあるかもしれませんが。)
自分で育てて初めて、自然の艶、というものがあることに気がついたのです。それは、新鮮で瑞々しく健康的だというサイン。野菜の、植物本来の美しさの表れです。
野菜は艶が命!
さて私たちの業界、建築の世界でも艶というのは、日々話にあがることが多い議題です。
主に、室内の仕上げ材料や塗装を決める時に、艶有り?無し?3分艶?5分艶?など、細かく刻んで理想の仕上がりを作っていきます。
建築業界、特にデザイン側では、この「艶」は、どちらかというと煙たがられる存在です。つるっとした仕上がりは、一見ゴージャス感を煽っているようですが、往々にして人工的で安っぽく、また全てが均一な表情になってしまうからです。もちろん均一に見えることは品質の保証という側面からするとメリットであり、また艶が強いと汚れが付きにくく掃除しやすいなどの機能的な面を持ち合わせています。そのため、設計者と施工者(工事を実際行う職人さん)は、この相反する利害を盾に、日々終わりなきバトルを繰り広げてきました(笑)
ただ昨今は、デザイン側としても、猫も杓子も「艶無し」という暗黙の了解のような風潮が、一周回ってある意味均一化をもたらしているような気がして逆にダサく、「艶」については、もう一度きちんと向き合うべき時が来ているような気がしています。もう少し自由に柔らかく、とでも言いましょうか。
そんな時に、野菜のあの美しい艶に出会ってしまったのだから尚更です。
ただ、艶は艶でも、ひとつとして同じ艶は無いんだよなぁ。。
そういえば、同じデザイン業界でも、車のデザインでは、「艶」は絶対的存在です。もちろん機能的な側面が多いことは想像出来ますが、極まれに、艶無しの車体を見るので不可能ではないのでしょう。でも、いまいち惹かれない。やはり車は、ヴィンテージものでもデザイン性の強いものでも、つるんとした豊かな艶があり、ピカピカに磨かれているそれに、格好良さを覚えます。
形でも色でも無い、要は実態では無い「艶」。
それなのに、その扱い方によって、表情をがらりと変えてしまうもの。
そんな艶の不思議を、少しでも紐解いて、面白くつき合っていきたいものです。