その人が設計した建築の実物を初めて見た時、まず感じたのは、『あぁ、小さいな』ということ。
建築の特異性は、まず、原則として人間の身体より大きくそれを内包するためのもの、一方で人間が実際に手を触れて使用し感じるという身体性に近いものである、ということだ。
もうひとつは、原則、移動することが不可能で、一度出来上がったら、その寿命を全うするまで、同じ場所にあり、その環境に影響され、影響し続けるものであるということ。つまり、動産ではなく、不動産である、ということ。
以上の2点から、建築とは、突き詰めて考えると、自然界、もっと言うと人間という動物も含めた生命体を考えること、であると言えると思う。
つまるところそれは、自分の及ぼし得ないもの、を認識するということなのではないだろうか。
コントロールすることに限界を感じ、自己表現の虚無感を知って、ある意味で匙を投げる。
自分という一生命体が自然界の中に溶け出し許容された時、想像以上の奥行きが生まれる。
小さくて異様に濃密。
自然界に頭を垂れ、その恩恵を享受する。
でもその一方で、一個体としての、どうしようもない狂気や欲望、野心が在るのもまた人間なのだ。
それを自己表現とか支配とかいう感覚ではなく、それもまた生命体としての真実だと認める。
その振れ幅を自覚して、淡々と進んでいく。
名も無き建築や町並み、自然の造形に、心震える体験を幾度と無く繰り返してきた。
100年後、そんな存在になることが出来る建築を作りたいなぁ。
※写真は、鎌倉山の集会所/設計:堀部安嗣