九州に行ってきました。
学生時代の友人が帰郷し、地元で独立し仕事を始めたため、彼を訪ねることも旅の大きな目的でした。
案の定、計画もそこそこのざっくりとした行き当たりばったりの旅です。そこでいくつかの印象的な出会いがありました。
友人と同じ町で、雑貨屋をやりながら内装関係のデザインの仕事をしている方、東京と九州の2箇所に拠点を持ちながら生活し仕事をしている米軍ハウスフリークのイラストレーターなどなど。
地方移住というキーワードが注目され始めてから久しいですが、友人も含め、実際に具現化している人との関わりは初めてでとても刺激的でした。何よりも強く感じた彼らの共通点は、自分の頭で考え、模索と行動を繰り返しているということです。
全てが東京に一極集中し、ヒトモノイエで溢れ返り、酸素が薄く息苦しい日常にも関わらず、そこに慣れ感情を麻痺させるという解決策しか無い思考停止状態。そして、「便利」「最先端」「情報量」「スピード」などというメリットが、そのデメリットをカバーしてもまだなお有り余る、故に価値ある場所と信じられてきました。私も、そうは言ってもやっぱり。。。という気持ちがどこかにあったことも事実です。
でも現実はより軽やかに未来へと状況を進めているようでした。
メリットとされてきたものは、インターネットの普及や交通手段やサービスの進化によっていとも簡単に代行出来るようになってきています。
むしろ集中するが故の情報過多状態が、人の思考を無意識に、受動的かつ均質化させ束縛してしまう。
一番肝心な事は、場所や技術そのものの進歩よりも、それを使う人の意識、本質を見極め取捨選択できること、つまり「考える」ということにありそうです。
考えることは、自由であることなのだと。
冒頭の言葉は、出所は不明ですが、環境問題を語る上で重要なフレーズとして、60~70年代には広く普及していた言葉だそうです。
環境問題だけでなく、色々な物事、特にこれからの建築に対する向き合い方にも当てはまる重要なキーワードだと思います。
均質化し束縛された枠組みの中ではなく、どこまでも自由な思考をもってこれからのstudio83の形を作っていきたいものです。