建築を始めたばかりの時、とあるご縁で見せて頂いた住宅があります。
その住宅で感じた感触が、今でも私のアタマの中でずしんと大きな塊を成していることは、とても幸運だと思います。
4m×7mの箱に、75cmの薄い層が取り付く、という単純明快な構成。
箱の部分は人が留まることを主目的としたいわゆる居室、そのまわりに取り尽く薄い層は、それ以外のエントランスや収納、開口部などの機能部となっています。
細かい説明は割愛しますが、築45年を越えて今もなお現役で本人が使用されているその住処は、その年月分の時間や生活の層が積み重ねられてきた痕跡をありのままに残しています。
イメージしやすい言葉で表現すると、「生活感」で溢れているのです。
ただ、それがもの凄く美しい。
その構造となる建築の構成の明快さゆえか、無秩序なようでいてどこかに秩序が感じられ、物に支配されているようで実はきちんと使い倒している。
生きるということは、汚れること、疲労すること、矛盾すること、複雑なこと、なんだなぁとこの歳になって改めて思います。つまりそんなに綺麗ではいられないらしいということです笑。
でもそこに捕われ、それを克服しようとすることが目的になってはつまらない。
いちいち目くじらを立てて、本来のもっと重要なこと、美しいこと、楽しいこと、幸せなこと、が霞んでしまうからです。
逃れようのない「生活」を、この住宅は、全てそのままで受け止めてくれる。そんな感じです。
その時に伺った、その住宅で暮らす奥様の言葉です。
「きれいきれいとして住むよりは
このように多少よごれていても許容してくれる
そのような家です
だから楽ですし多少寒くても暑くても
それより家族とどう過ごせるかを大事にできる家です」
あぁ、そんな風に暮らせたらどんなによいだろう。
そんな生活の舞台背景となる建築であれたらと。
ブランドものの高級石鹸を置くことにこだわるピカピカな洗面所もいいけれど、市販のハンドソープをポンと置いてもなんかいい、そんな満ち足りた空気が流れる洗面所って、かっこいいよなぁ。
※写真は、室伏次郎邸/1971年室伏次郎設計